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園芸店には、シクラメンが並ぶ季節になり、aoieの花壇に残っている、シクラメンの球根からも、葉っぱが姿をあらわしました。
昨年の花後に、5株残ったシクラメン、今年は、いったい、いくつ花を咲かせてくれるでしょう。
この花壇は、忘れることのできないある方からの贈り物です。
4年あまり前のある日、こんな立地の良くないカフェを目にとめ、ふらりと立ち寄ってくれたお年を召したダンディーな男性。
その日からずっと、営業日にはコーヒーを飲みに来てくださった。
3年前のちょうど、こんな季節に、そのお客様は、車に何袋もの土と、数ダースの花苗を積んで、やってきました。
そして、その辺の木の切れ端や、棒を突き刺して、壁を作り、その中に土を入れ…
写真のような花壇を作ってしまったのです。
お客様は、80歳を超えて、既往症もあり、完全な健康体ではありませんでした。
「いつ、来られんようになるかわからんから、動ける間、飽きるまでせっせと来るよ」
淡路島の反対側の海岸沿いから小一時間かけて、aoieからお気に入りのどこかを経由して、夕方再度寄ってくれる日もありました。
「○○○の店は、きらきら豪華に光らせて、色とりどりの花をわんさと植えてる。よし、僕がこしらえてやろう」
aoieのガーデンは、宿根草が多く、お客様は、もっと華やかにしたら、お客様が増えると思ってくれたのかもしれません。
その姿は、園芸好きだった父を思い出させました。
いつも、いつも、優しかった。
父もあの方も。
「なんで、客が来ないんだろうな。景色がよくて、こんなにいい店なのに。
そのうち、いっぱい来てくれるから、続けるんだよ。お客さん大事にしてね。」
引退前は、大きなお店の支配人だったと、ご自分の体験談を講じてくださることもありました。
たまに、内心、デジタル時代の現代にはちょっとね‥‥と苦笑することはあったけれど、役に立つお話に聞き入ったものです。
ときどき、入院しててしばらく行けないと携帯から電話が入って、心配していると、またひょこっと顔を出してくれたり、のようなことが何度かくりかえされました。
そして、2年前の挽夏、免許の更新を忘れて、車を手放したと、自転車で来てくれました。それから、もう一度、電動自転車に買い替えて。
前年に植えてくれたシクラメンは、半分ぐらいに減って、葉っぱが出たばかりだった。
それを見て、「また買って、持ってきてあげようね」と、あの方は言い、「自転車じゃ無理ですよ。大丈夫です」と私は、答え‥
「ここに来るのがたのしみなんだ」と手を振って、自転車に足をかける後ろ姿を、見送った10月末のある日が、最後になってしまいました。
しばらくたって電話をかけてみて、使われていないことがわかりました。
持ってきてくれる‥と最後の日、あの方は言ったので、わたしは花を買って植えることはしません。
その代わり、あの方に似た、人形を置きました。
いつも、見守ってくれるように。
来し方、私は、いろんな場面で恩人に出会いましたが、近い過去、コロナと同時のオープンで、慣れぬ地で途方に暮れた日々、私を支えてくれたのは、あの方で、まさに恩人でした。
あの方は、老人ではありませんでした。
いつも、どこか痛い痛い、と言いながら、このひとけのないカフェのために、何かしてあげようという気持ちがあふれて、こぼれんばかりでした。
おそらく、80歳半ばで、自転車で反対側の海岸までの移動はできず、自宅のご近所でお元気にしていてくださると思っています。
今から思うと、あの方と過ごした長さより、会わなくなった時間の方が多くなったというのに、いまだに思い出し、ことあるごとに、幸せをお祈りしています。
そして、あの方を思い出すとき、「人が去った後に残るのは、集めたものではなく、与えたものである。」
という有名な言葉が、いつも脳裏にうかびます。
役に立てること。
あの方のように、どなたかの心に残るように生きたいと思うのです。